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最近、「ショートスリーパー」として話題になっている堀大介氏の発信を目にする機会が増えました。
私は、彼の睡眠についての主張そのものをここで検証したいわけではありません。医学的な問題については、専門家による検証が必要です。
ただ、彼の発言を見ていて、どうしても引っかかるものがありました。
それは単純な「好き嫌い」ではありません。
むしろ、
人間の中には誰にでも「楽をしたい」「認められたい」「自分は特別でありたい」という欲望がある。そして、それをどのような物語にして、どの方向へ使うのかによって、その先は大きく変わるのではないか。
そんなことを考えるようになったのです。
そして不思議なことに、ちょうど同じ時期に、睡眠研究の第一人者である柳沢正史教授が、エマニュエル・ミニョ教授とともに2026年のアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞しました。
オレキシンの同定と、その欠乏がナルコレプシーにおける制御不能な睡眠につながることを明らかにした研究が評価されたものです。
この二つの「睡眠をめぐる話題」が、私には非常に象徴的に見えました。
- 1 「寝ていると仕事が来ない」という話に感じた違和感
- 2 「時間を短くすること」と「時間を効率化すること」
- 3 「楽して○○」という物語
- 4 ストーリーは、事実そのものより強くなることがある
- 5 妄想には、実はかなりの創造力がある
- 6 音楽家は、妄想を作品にする
- 7 「楽をしたい」という欲望は、どこへ向かうのか
- 8 柳沢正史教授が示しているもの
- 9 「自信」と「確信」は同じではない
- 10 音楽家にとって「時間」は何なのか
- 11 妄想を、現実逃避に使うのか、創作に使うのか
- 12 「妄想するな」ではなく、「妄想を作れ」
- 13 本当に価値があるのは、「楽をすること」ではない
- 14 「時間を奪う」のではなく、「時間を自分の中に蓄える」
- 15 堀大介という「現象」から考えたこと
- 16 妄想は、才能にもなる
- 17 最後に
- 18 付録ー調声に最適なヘッドフォン!
「寝ていると仕事が来ない」という話に感じた違和感
私は以前、スタジオレコーディングの仕事をしていました。
映画製作や番組製作などの仕事では、最初から大きな制作費が計上されていて、その中で演奏者にも相応の報酬が支払われます。
ただし、その代わりに要求されるものも大きい。
現場に行って、初見で演奏する。
場合によっては一発録り。
限られた時間の中で、確実に仕事を終わらせる。
そういう世界です。
そこで重要なのは、「長時間起きている人」ではありません。
短い時間で、確実に仕事ができる人です。
そして、一度仕事をした人が次回も呼ばれるかどうかは、その人がどれだけ長く起きていたかではなく、
「この人なら任せられる」
「短時間でも確実にやってくれる」
という信頼によって決まっていきます。
仕事のオファーも、ファストフードやUber Eatsの注文のように、「今この瞬間に起きている人を探す」というものではありません。
数週間、場合によっては数か月前からスケジュールを確認する。
メールなどで連絡を取り、条件を確認する。
スケジュールが合えば仕事を受ける。
そういう人と人との関係の上に、現場の仕事は成り立っています。
もちろん急な仕事もあります。しかし、だからといって「寝ている時間が長いから仕事が来ない」という単純な構造ではありません。
むしろ、こちらが仕事を断ることが増えれば、自然と次の依頼が減ることもある。
逆に、多少連絡が遅れたからといって、長年信頼関係を築いている人が、いきなり別の人に仕事を振るとも限らない。
つまり現場でいう「時間効率」とは、
起きている時間を増やすことではなく、必要な時間で確実に仕事を終える能力
なのです。
ここには大きな違いがあります。
「時間を短くすること」と「時間を効率化すること」
これは音楽の現場だけの話ではありません。
優れた演奏家が初見の譜面を短時間で演奏できるのは、練習していないからではありません。
むしろ逆です。
長い時間をかけて練習してきたからこそ、現在の演奏に必要な時間が短くなっている。
つまり、
過去の努力が、現在の時間効率として現れている。
これは非常に重要なことだと思います。
英語も同じです。
英語を自然に使えるようになった人を見て、
「この人は簡単に英語を話している」
と思うかもしれない。
しかし、その「簡単に見える状態」に至るまでには、語彙、文法、発音、リスニング、実際の会話など、見えない時間の蓄積があります。
私自身も、英語を学ぶときにはかなり集中して取り組みました。そして、やがてそれを生活の一部にしていきました。
音楽もそうです。
今では生活のほとんどが音楽ですが、最初からそうだったわけではありません。
楽器に向き合う。
練習する。
失敗する。
録音する。
聴き直す。
またやる。
そういう時間が積み重なった結果として、今の生活があります。
だから、現在だけを見れば「音楽をやって生活している」だけに見えても、その背後には膨大な時間が存在しています。
熟練とは、努力が見えなくなった状態なのかもしれません。
「楽して○○」という物語
ところが現在は、
「楽して英会話」
「楽して痩せる」
「楽して稼ぐ」
「寝ている間にお金が入る」
といった言葉が、あらゆる場所にあふれています。
もちろん、無駄な努力を減らすこと自体は悪いことではありません。
効率の良い学習法もあります。
技術の進歩によって、昔より簡単にできるようになったこともたくさんあります。
問題なのは、
「無駄な努力を減らす」ことと、「努力そのものをなくす」ことが混同されること
ではないでしょうか。
人間には、
「できれば苦労したくない」
という欲望があります。
これは特別な人だけのものではありません。
私自身にもあります。
できることなら、楽に英語を身につけたい。
できることなら、短時間で素晴らしい音楽を作りたい。
できることなら、練習せずに楽器が上手くなりたい。
誰だってそう思うでしょう。
だからこそ、
「努力しなくても結果が出る」
という物語は強いのです。
ストーリーは、事実そのものより強くなることがある
マーケティングでは、商品そのものを説明するだけでなく、そこに「物語」を与えることがあります。
「これを使えば英語が話せます」
より、
「忙しい会社員だった私が、これだけで英語を話せるようになった」
のほうが、人を惹きつける。
「この方法で痩せます」
より、
「何をやっても痩せられなかった私が、この方法だけで変わった」
のほうが、物語として強い。
人間は数字や事実だけでなく、物語によって世界を理解するからです。
そして、その物語を語る本人が非常に強い確信を持っていると、さらに強くなります。
「私は知っている」
「世の中の常識は間違っている」
「普通の人が知らない方法を私は知っている」
こうした自己物語は、人を惹きつける力を持っています。
堀氏についても、本人の内面を外部から断定することはできません。
しかし、本人は過去のインタビューで、プロミュージシャンを志していたこと、短眠によって曲作りや練習の時間を増やしたかったこと、友人の短眠をきっかけに自分でも試行錯誤を始めたことなどを語っています。
ここから先は本人の動機を推測することになりますが、仮に人間が「自分にとって都合のいい仮説」を強く信じ、それを一つの物語として組み立てていったとしたら、そこには非常に強いエネルギーが生まれるでしょう。
そして、そのエネルギーがそのまま外へ発信されれば、他人を惹きつける力にもなります。
妄想には、実はかなりの創造力がある
ここが今回、一番考えてみたいところです。
人間は誰でも妄想します。
「あの人は自分を評価しているかもしれない」
「本気を出せばもっとできる」
「自分にはまだ隠れた才能がある」
「もし別の人生を選んでいたら」
「こんな世界があったら面白い」
こうしたことを、頭の中で一度も考えたことがない人は少ないでしょう。
しかし、普通はそこで現実との照合が入ります。
「いや、さすがにそれは自分の妄想だ」
「証拠はない」
「実際にやってみないと分からない」
そうやって、頭の中の物語と現実を区別します。
ところが、その境界がなくなったらどうなるでしょう。
頭の中で作った物語が、そのまま現実についての説明になってしまう。
そして、現実が物語と合わなければ、現実のほうを物語に合わせて解釈してしまう。
これは危険なことです。
しかし、ここで面白い逆転があります。
妄想そのものは、決して悪いものではない。
なぜなら、創作は妄想から始まるからです。
音楽家は、妄想を作品にする
「こんな曲を作ったら面白い」
「こんな音が出たらいい」
「この楽器とこの楽器を組み合わせたらどうなるだろう」
「こんな世界を音楽で描いてみたい」
全部、最初は妄想です。
でも、そこで終わらない。
実際に音を出す。
録音する。
聴く。
「思っていたのと違う」
と思う。
修正する。
また録音する。
アレンジを変える。
また聴く。
そうして、少しずつ現実に近づけていく。
つまり創作とは、
妄想を現実だと言い張ることではなく、妄想を現実にぶつけて検証すること
なのではないでしょうか。
これは非常に重要な違いです。
妄想を持つことは自由です。
むしろ、創作者にとっては必要です。
しかし、
「きっと素晴らしい」
だけでは作品にはならない。
実際に作ってみなければならない。
そして現実から返ってきた答えを受け入れなければならない。
「楽をしたい」という欲望は、どこへ向かうのか
ここで、「楽をしたい」という欲望にもう一度戻ります。
楽をしたい。
これは人間として自然な欲求です。
しかし、その欲求が強くなりすぎると、
「努力を減らす」
から、
「努力しなくても結果が出る理由を探す」
へ変わってしまうことがあります。
そして、その理由を説明するために新しい物語が必要になる。
「普通の人は知らない方法がある」
「常識は間違っている」
「自分は特別な方法を知っている」
「努力している人は、やり方が悪いだけだ」
こうして、自分にとって都合のいい物語が完成していく。
もちろん、すべての「楽して成功」という商品や主張が虚偽だと言いたいわけではありません。
効率化は本当に存在します。
問題は、
効率化によって減ったのが「無駄」なのか、それとも「必要な過程」なのか。
そこを見極めることだと思います。
柳沢正史教授が示しているもの
そんなことを考えていたタイミングで、柳沢正史教授が2026年のラスカー賞を受賞したことを知りました。
柳沢教授とエマニュエル・ミニョ教授は、オレキシンという脳内ペプチドの同定と、オレキシン欠乏がナルコレプシーにおける制御不能な睡眠につながることを明らかにした研究によって、2026年のアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞しました。
柳沢教授の研究について以前書かれた資料を見ると、オレキシンの発見だけが終点ではありません。
現在も筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構では、
「なぜ我々は眠らなければならないのか」
「そもそも睡眠とは何なのか」
という、まだ答えの出ていない問題を研究しています。
ここが、とても大切だと思います。
本当に優れた研究者は、
「私は睡眠を知っている」
とは言わない。
むしろ、
「まだ分かっていない」
というところから出発する。
仮説を立てる。
実験する。
検証する。
間違っていれば修正する。
そしてまた研究する。
長い時間をかけて、その結果として世界の理解を一歩前へ進める。
ラスカー財団も今回の研究について、オレキシンの発見が睡眠の本質を理解する新しい研究領域を開いたことを評価しています。
私は、この姿勢こそが非常に美しいと思います。
「自信」と「確信」は同じではない
ここにも大きな違いがあります。
自分を信じることは大切です。
音楽家だって、
「この曲は絶対に完成させる」
「この演奏を良くする」
という自信がなければ続けられない。
しかし、本当の意味で成長するためには、
「自分の考えが間違っている可能性」
を残しておく必要があります。
「自分は正しい」
だけではなく、
「自分は間違っているかもしれない」
という余白を持つ。
これは科学にも、音楽にも共通する姿勢ではないでしょうか。
作品を作って、
「素晴らしいはずだ」
と思っていても、聴き返したら違う。
そこで、
「いや、聴く人のほうが分かっていない」
とするのか、
「どこが良くないのだろう」
と考えるのか。
その違いが、次の作品を変えていく。
音楽家にとって「時間」は何なのか
私自身、音楽で生活するようになって改めて思うことがあります。
時間は、単純に「長く使えばいい」というものではありません。
しかし同時に、
時間をかけなければ得られないものも確実にある。
楽器の技術。
耳。
音楽的な判断力。
人との信頼関係。
英語。
作曲。
アレンジ。
録音。
これらは、一晩で手に入るものではありません。
AIや便利なツールによって、作業そのものを短縮することはできます。
それは素晴らしいことです。
しかし、
「作業時間が短くなったこと」と「能力を身につけるための時間が必要なくなったこと」は同じではありません。
ここを混同してはいけないと思います。
妄想を、現実逃避に使うのか、創作に使うのか
今回、堀大介氏という「現象」を見ながら考えたかったのは、結局ここなのかもしれません。
人間の頭の中には、誰にでも妄想があります。
自分を大きく見せたい。
認められたい。
楽をしたい。
成功したい。
人より優れていたい。
そんな欲望もあります。
それ自体を否定する必要はありません。
むしろ、それらは人間を動かす強烈なエネルギーでもあります。
問題は、そのエネルギーをどこへ向けるかです。
自分に都合のいい物語を作り、その物語を現実だと思い込むこともできる。
他人を説得するためのストーリーにすることもできる。
あるいは、
音楽にすることもできる。
絵にすることもできる。
小説にすることもできる。
研究の仮説にすることもできる。
そして現実にぶつけてみる。
失敗したら修正する。
また試す。
その繰り返しによって、妄想は少しずつ「作品」や「発見」に変わっていく。
「妄想するな」ではなく、「妄想を作れ」
私は、創作する人間に必要なのは「妄想を捨てること」ではないと思っています。
むしろ逆です。
もっと妄想していい。
「こんな音楽があったら面白い」
「こんなアルバムを作ってみたい」
「こんな楽器を使ったらどうなるだろう」
「まだ誰もやっていないことをやってみたい」
そんなことを、どんどん考えればいい。
ただし、その妄想を現実と混同しない。
妄想はスタート地点であって、ゴールではない。
そこから実際に作ってみる。
演奏してみる。
録音してみる。
聴いてみる。
人に聴いてもらう。
批判されたら考える。
違うと思ったら直す。
それを繰り返す。
そうやって初めて、妄想は創造になります。
本当に価値があるのは、「楽をすること」ではない
今回の話を考えていて、私は「努力」という言葉そのものも少し違うのではないかと思うようになりました。
努力をすることが偉いわけでもない。
苦労すれば価値があるわけでもない。
必要のない苦労は、できるだけ減らしたほうがいい。
でも、
価値のあるものを生み出すために必要な時間まで、削ってしまう必要はない。
スタジオミュージシャンが短時間で演奏できるのは、それまでに積み重ねた時間があるからです。
研究者が一つの発見に到達するまでには、長い年月があります。
音楽家が自分の音を手に入れるにも時間が必要です。
英語を使えるようになるにも時間が必要です。
そして、その時間は単なる「消費」ではありません。
その人自身を作っている時間です。
「時間を奪う」のではなく、「時間を自分の中に蓄える」
だから私は、時間について少し違う考え方をしてみたいと思います。
時間は、単に「使う」ものではない。
経験として、自分の中に蓄積されるものでもある。
1時間楽器を弾けば、その1時間が消えてなくなるわけではありません。
その経験が、次の演奏に残る。
英語を1時間勉強すれば、その1時間は消えてなくなるわけではない。
次に英語を使うとき、その経験が残っている。
研究も同じでしょう。
一つの実験が失敗しても、その失敗は次の仮説に残る。
だから、長い時間をかけることには、それ自体に意味がある。
堀大介という「現象」から考えたこと
今回、私が堀大介氏について考え始めたのは、正直に言えば、最初はかなり強い違和感があったからです。
しかし、考えていくうちに、その違和感そのものよりも興味深いものが見えてきました。
それは、
人間は、自分の欲望に合わせて物語を作る生き物なのではないか
ということです。
そして、その物語には大きな力があります。
人を惹きつけることもある。
人を動かすこともある。
お金を生むこともある。
社会現象を起こすことさえある。
だからこそ、その力をどこへ向けるのかが重要になる。
「楽をしたい」という欲望を、楽な方法を探すためだけに使うのか。
「認められたい」という欲望を、自分を大きく見せるために使うのか。
それとも、
「誰にも作れないものを作りたい」
という創造のエネルギーに変えるのか。
そこには、大きな違いがあります。
妄想は、才能にもなる
もしかすると、人間にとって「妄想」は非常に重要な能力なのかもしれません。
現実には存在しないものを想像する。
まだ存在しない音楽を想像する。
まだ存在しない科学的仮説を想像する。
まだ存在しない未来を想像する。
そこから新しいものが生まれる。
科学も芸術も、最初の段階では「まだ現実には存在していないもの」を頭の中に描くところから始まります。
ただし、その先が違う。
科学なら、検証する。
音楽なら、作ってみる。
芸術なら、作品にする。
そして現実から返ってきた答えを受け止める。
だから、
妄想そのものが問題なのではない。
大切なのは、
その妄想を現実に押しつけるのか、それとも現実と向き合わせるのか。
なのだと思います。
最後に
柳沢正史教授の研究について知ったとき、私は改めて「地味であること」の価値を考えました。
長年研究している。
仮説を立てる。
検証する。
また研究する。
その間、世間を大きく騒がせるような物語を作る必要はありません。
しかし、何十年という時間を経たとき、その積み重ねが人類の睡眠に対する理解を一歩前へ進める。
そして2026年、その仕事がラスカー賞という形で世界的に評価された。
これは科学者だけの話ではないと思います。
音楽家も同じです。
派手な言葉を並べることより、何度も楽器に向き合う。
何度も曲を作る。
失敗したら作り直す。
自分の耳で確かめる。
そして、いつか自分にしか作れないものが残る。
それは一見すると、とても地味な作業です。
でも、その地味な時間こそが、その人にしかないものを作っていく。
だから私は、
「楽して成功する方法」よりも、「自分の妄想を現実にするために、どれだけ時間を使えるか」
のほうに興味があります。
そして音楽を作る人間としては、こう考えていたい。
妄想は、隠す必要はない。
ただし、それを現実だと言い張るのではなく、
曲にする。
絵にする。
文章にする。
演奏する。
作品として世の中に差し出す。
そして、現実から返ってきた答えを受け止める。
もしかすると、
「妄想を現実にする」という言葉の本当の意味は、妄想を事実だと思い込むことではなく、妄想を創作によって現実に存在するものへ変えることなのかもしれません。
そう考えると、人間の中にある「楽をしたい」「認められたい」「自分は特別でありたい」という少し厄介な欲望さえも、使い方次第では創造のエネルギーになる。
そして、そのエネルギーをどう使うか。
そこに、その人の生き方と、作るものの違いが現れるのではないでしょうか。
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付録ー調声に最適なヘッドフォン!
付録として、エムフリお気に入りのお薦めグッズをここに掲載します!
今回は調整作業に使っている、ヘッドフォンです。
僕は基本的にヘッドフォンで音楽を聴くのは好きではなくて、アナログ録音時のモニターか雑音などの最終チェックにしか使いません。
その理由は再生音がヘッドフォンによる特性にかなり左右されるからです。なので制作時にはその目的に応じた音のヘッドフォンを選択することになります。録音時のモニターや雑音を検知するのに適したものを選びます。
ただ、ヘッドフォンはそれほど好きではないのです。空間を介さない直接耳に伝える音なので、どちらかというと好んで使うというよりも、作業工程で仕方なく使うことが多いです。
♡購入までの経緯
最近、SynthesizerVで調声をするようになって、MacBookPROを使用して外出先などでも作業するようになりました。そうするとヘッドフォンは必須となってきます。長時間装着して疲れなければ、まぁイイかくらいで適当に選んでいました。
当初はデザイン性からTeenage Engineering のヘッドフォンを使用していました。オシャレな感じと携帯に便利なので使っていました。ハイがカットされて中低位域がモッコリするのですが、聞き疲れしないので気に入っていました。しかし、カバンに入れて持ち歩いていると可動部分が折れてしまいました。
気に入っていたので(デザインが〜笑)再注文して、ついでにいろいろ検索していると「アシダボックス」なるものを見つけました。ものすごく評判が良くて一時期は入手困難な状態が続いていました。日本のメーカーでデザインがなんともレトロ。
Teenage Engineeringのヘッドフォンよりも安かったのでポチってみました。
♡調声に最適
結論からいいますと、めっちゃイイです。特にSynthesizerVの調声作業にバッチリです!
丁度、人の声の部分が聞きやすくて微細な変化もこのヘッドフォンだと聞き逃すことがないです。SynthesizerVで調声をされている方には、是非是非お薦めのヘッドフォンです。コスパも良いです。
同じデザインで、ST-90-05とST-90-07というのがあります。僕が購入したのはST-90-07のほうです。評判になっていたのはST-90-05のほうなのですが、さらにパーツのグレードを上げて音をよくしたのががST-90-07です。
低域はあんまり出ませんので、そういった需要の音楽には不向きです。声が聴き取りやすいので、調声とは抜群に相性がイイです。先にもいったようにヘッドフォンは、その目的に応じて使うのが理想的で万能性を求めるものではありません。
最初にいったようにヘッドフォンを使うのはあまり好きではないのですが、これはかなりお薦めです。これを使い出してから、SynthesizerVの調声で細部の音の動きに迷うことが減って作業効率が上がりました。
とにかく声の微細な変化がとてもわかりやすいので、是非使ってみてください!
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