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仙厓義梵(せんがいぎぼん)、現在の福岡県にある聖福寺にて1788年から仙厓和尚として親しまれ、やさしく禅の教えを説き、権力にこびることなく、数々の優れた絵を残し、1837年10月8日、博多の人々に愛され続けた高僧は、その生涯を閉じる。
臨終の際に最後の言葉を賜ろうと、弟子たちが集まり仙厓和尚のまわりを取り囲んだときに、仙厓和尚、「死にとうない...死にとうない」とつぶやく。あわてふためいた弟子たちは、その言葉には何か深い意味があると思い、さらに真意を問うたところ、「ほんまに、ほんまに」という言葉が返ってきたそうです。
病弱な幼少時代
僕は子供の頃から身体が弱く、病院生活というものが日常だったので、死というものが常に身近にありました。しかし、子供というものは無邪気なもので、何度か死に至るような病にかかっても、自分は死なないと信じて疑わなかったのです。
けれども、知り合いになった人が次々と死んでいくのはとてもつらかった。10代後半の頃にはさすがに、自分にも死が訪れるのではないかという不安がよぎり始めました。先日まで笑っていた人が、今日はベッドに横たわった空洞の身体だけになり、それはいつか確実に自分にも訪れる事だということを、死というものは生きているもの全てが逃れることのできない事だということを、ひしひしと感じました。
死に直面したとき
長い病院での生活も終わりを告げ、20代半ばくらいからは嘘のように病気とは無縁の存在になりました。かなり自己主張も激しい生意気な性格で、そういった人材をベンチャー企業の社長さんなどはとてもかわいがってくれるものでありまして、その当時、とても豪傑なベンチャー企業の社長さんにも気に入られて、福岡までの社用に同行(奇しくもこの日向かったのが博多)させていただきました。
伊丹空港から福岡空港まで所要時間1時間半時間ほど、社長さんは今の会社を起こすまでの苦労話、これからの会社の展望などを話されていました。ところが福岡空港を目前にしたときに、突然機体が大きく揺れ始めたのです。
滑走路が目に前に来てもその揺れは収まらず、左右に振り子のように揺れてます。にわかに機内が騒がしくなります。窓の外を見ると航空機の残骸が見えます。そうなのです。3日前に航空機が離陸を失敗して大惨事がおこったばかり。その残骸がまだ残っていたのです。
無残な残骸を眺めながら、「あぁ...死ぬんかな」とほとんどあきらめのような感情がわき、家族には心配させないように、自分は怖くなかったし苦しいおもいはせんかった、という事を手帖に書いておこう思ったわけです。
墜落するかもしれない
大きなガッシャーンという音と振動、それでも飛行機はなんとかバランスを保ち、着陸経路に向かいます。この間に機内アナウンスはいっさいありませんでしたので、よほど緊迫した状態だったんでしょうね。この時点では乗客はもう誰ひとり声を発しません。実際こういう場面になると、映画みたいに大パニックにはならないんですよ。しーんっと静まりかえっている中で、やけに響き渡る振動と騒音、よけいに不気味です。
実際は短い時間だったと思うのですが、とても長い時間に感じられました。凄い揺れとと轟音とともに、機体は左右に揺られながらも、見事に着陸に成功しました。乗客、乗務員、全員が機長に拍手喝采です。
まさにスタンディング・オベーションの状態です。自分もこのスタンディングオベーションに参加しようと身体を動かしたところ、ものすごい振動が足に伝わってきました。豪傑な社長さんが腰を抜かしたまま、足を震わせていたのです。そのバイブレーションが僕の足に伝わってきていたのです。
あきらめは覚悟とは別物
何年もたってから今、あのときのことを考えてみますと、自分が恐ろしさを感じなかったのは、子供の頃から何となく身近に「死」というものがあって、逃れられない事態に遭遇したときに、生きることにしがみつくには、あまりにも理不尽で苦しいので「あきらめ」のようなものに切り替わる体質になってしまったのではないか。
草食動物も捕食者に捕らわれた瞬間、もうその瞬間は苦しくないそうなんですよ。ドーパミンが脳からどばっと出て痛みも感じないそうです。ようするにもうどうしょうなくなったときには、「死」に寄り添ってしまう動物的な性格になってしまっていたのです。
死にとうない
仙厓和尚の話に戻りますと、あれほどの徳を積んだ人が、なぜ死の間際に「死にとうない」といったのか。
人は明日は普通にやってくると思い込んでいます。だから、今日やらなければいけないことの先延ばしも平気でします。明日やればいいかーなんていって、だらだらと日々を過ごします。明日が突然断ち切られることは、まったくの想定外なのです。
それとは逆に明日を信じて日々精進して、明日はもっと良くなると信じ続けている人がいます。未来の自分は今の自分よりももっと輝いている、ということを信じて日々精進を続ける、これは想像力とそれを実現する、創造する力をもった人間にしかできません。
未来を信じる力
人にしかない想像力、そしてそれを成し遂げる創造力、人である限りあきらめてはいけないのです。最後の最後まで「死にとうない」といって踏ん張るのには、どれほど勇気のいることか。動物のように「あきらめ」ることなく、最後の最後まで人として生き、人として逝く事は、達観した人でしかできないと思います。
それは死の間際ですら、希望を放棄することを拒む行為なのです。
僕は、幼い頃から悲しい経験をしてきたために、死というものを安易に受け入れ、それが覚悟というものと勘違いしていました。人としての有り様を忘れ去ってしまっていたのです。人が未来を見つめ始めた瞬間から、明日をあきらめずに生きたい、もっとよくなりたいと願うのが本当の人間の姿なのではないでしょうか。どんなときでも簡単に死を受け入れるものでないのです。
論語の「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(人としての道を悟れば、いつ死んでも悔いはない)というのも、疑問に感じます。
「死すとも可なり」とは動物的な「あきらめ」の部分で、人間の営みの部分ではありません。そして道を悟りきることなど、未来を見つめてさらなるものを追い求めている限り、完結したかたちは永遠に訪れないと思います。
巨匠の最後
最後にルノワールの話、78歳で画家としての生涯を閉じた巨匠は、晩年はリュウマチに狂しめられ、筆を指にくくりつけて絵を描いていたそうです。そして臨終の言葉、
「あと10年生きることができれば、もっとうまく描けるのに...」
ここまで達観できるように、日々精進いたします。
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