AIが何でもできる時代に、それでも人間が自分でやる理由

  • 2026年9月7日
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「成果」ではなく、「自分自身が変化すること」の価値

生成AIによって、私たちはこれまで想像もしなかったほど簡単に、さまざまなものを作れるようになりました。

音楽を作る。
絵を描く。
文章を書く。
映像を作る。

以前なら専門的な技術や長い訓練が必要だったことが、短い指示だけで実現できるようになっています。

これは間違いなく大きな技術革新です。

しかし、こうした変化の中で、別の問いが浮かび上がってきました。

「何でも簡単に作れるようになったとき、それでも人間は、なぜ自分で何かをするのだろう?」

この問いを考えていくと、AIと人間の創作を「どちらが優れているか」という話とは少し違った世界が見えてきます。

そこにあるのは、「成果を得ること」と「自分自身が変化すること」は同じではないという問題です。


成果を得ることと、自分が成長することは違う

例えば、AIに「素晴らしいギターソロを作って」と頼めば、非常に完成度の高いギターソロが生まれるかもしれません。

作品としては成立します。

しかし、その結果によって自分自身がギターを弾けるようになったわけではありません。

一方、自分でギターを練習して、昨日まで弾けなかったフレーズが弾けるようになったとします。

こちらは、作品そのものとは別に、自分自身の中に変化が起きています。

昨日まで存在しなかった能力が、自分の中に存在するようになった。

この違いは、AIが進化するほど大きくなっていくのではないでしょうか。

AIは「結果」を非常に効率よく与えてくれます。

しかし、人間が自分で練習することによって得られるものは、結果だけではありません。

その過程そのものが、自分自身を変えているのです。


筋トレが教えてくれる「昨日の自分との違い」

近年、筋トレが広く普及したことも、このことを考えるヒントになります。

筋トレには、非常に分かりやすいフィードバックがあります。

昨日より重い重量を持ち上げられた。

同じ重量で回数を増やせた。

以前より身体が動くようになった。

鏡を見れば、身体そのものの変化を確認できる。

そこには、

「昨日の自分とは違う」

という実感があります。

これは他人から評価されなくても成立します。

誰かに「すごい」と言われなくても、自分自身が変化を知っている。

この感覚が、トレーニングを続ける大きな動機になります。

楽器の習得にも、まったく同じことがあります。

昨日まで弾けなかったフレーズが弾ける。

コードチェンジが滑らかになる。

リズムが安定する。

以前は意識しなければできなかった奏法が、身体に染みついて自然にできるようになる。

こうした小さな変化が積み重なっていきます。

すると、単に「楽器が上手くなった」というだけではなく、

自分の中に存在する世界が少し広がった

という感覚が生まれます。


「自分というハードウェア」に新しい能力をインストールする

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これは楽器だけの話ではありません。

語学学習も同じです。

昨日まで聞き取れなかった英語が聞き取れるようになる。

言えなかったことを言えるようになる。

以前より複雑な文章を理解できるようになる。

新しい言語を身につけることによって、自分がアクセスできる世界そのものが広がっていきます。

つまり、学習とは単に知識を増やすことではありません。

「自分自身というハードウェアに、新しいソフトウェアをインストールすること」

とも考えられます。

筋トレなら身体能力。

楽器なら演奏能力。

語学ならコミュニケーション能力。

絵なら視覚表現能力。

料理なら味覚や身体操作の能力。

こうして考えると、人間は生きている間、自分自身を少しずつアップデートしていく存在なのかもしれません。


便利になったのに、なぜか満たされない理由

ここで、現代の生活についても別の見方ができます。

私たちは現在、非常に多くのものを「自分でやらなくてもいい」環境で暮らしています。

SNSを開けば、誰かが作った大量のコンテンツを見ることができます。

動画配信サービスでは、膨大な映画やドラマをいつでも楽しめます。

AIに頼めば、文章も画像も音楽も作ってもらえる。

必要な情報も検索すればすぐに見つかります。

これは便利なことです。

そして、こうしたサービスを楽しむこと自体に問題があるわけでもありません。

しかし、ここには一つの落とし穴があります。

「自分自身は、何か変化したのだろうか?」

という問いです。

世界では毎日、新しい情報が生まれています。

新しいニュース。

新しい動画。

新しい音楽。

新しい商品。

新しいトレンド。

私たちは大量の変化を目にしています。

ところが、その変化の多くは「自分の外側」で起きている。

自分は同じ場所にいて、同じ身体で、同じ能力のまま、他人の変化を眺め続けることもできます。

すると、

世界は猛烈な速度で変化しているのに、自分自身は変化していない

という奇妙な状態が生まれます。

もしかすると、現代人が感じる漠然とした空虚感の一部には、この構造が関係しているのかもしれません。


「小さなストレス」は、変化のなさから生まれるのか

人間は、楽であればあるほど幸福になるとは限りません。

もちろん、過剰な苦痛や不便を望む必要はありません。

しかし、適度な負荷には意味があります。

少し難しいことに挑戦する。

失敗する。

もう一度やる。

昨日より少しできるようになる。

その積み重ねによって、

「自分は前に進んでいる」

という感覚が生まれます。

逆に、何も挑戦せず、何も獲得せず、ただ時間だけが過ぎていくと、

「今日も昨日と同じだった」

という感覚が少しずつ蓄積される。

それは大きな苦痛ではないかもしれません。

しかし、小さな違和感として積み重なっていく可能性があります。

だからこそ、人は再び何かを始めたくなるのではないでしょうか。

楽器を始める。

筋トレを始める。

語学を学ぶ。

絵を描く。

料理を覚える。

何でもいい。

そこには、

「自分を変えられる」という感覚

があります。


AIの脅威とは、本当に「仕事を奪われること」だけなのか

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生成AIについて語るとき、「人間の仕事が奪われる」という議論がよくあります。

もちろん、これは重要な問題です。

しかし、もう少し内側にある問題を考えることもできます。

AIによって、

「自分で作らなくてもいい」

「自分で考えなくてもいい」

「自分で覚えなくてもいい」

「自分で練習しなくてもいい」

という環境が極端に進んだとき、人間は何を失うのでしょうか。

それは仕事だけではなく、

「自分は何かを獲得できる存在である」という感覚

なのかもしれません。

そう考えると、「AIが怖い」という感情の一部は、AIそのものへの恐怖ではなく、

自己を失うことへの恐怖

として捉えることもできます。

AIに何でもやってもらえる世界では、自分が何かをする必要がなくなる。

しかし、人間にとって「何かをする必要がある」ということは、必ずしも不幸ではありません。

むしろ、それが自分自身を作る機会になっていることがあります。


だから「AIを使わない」という結論にはならない

ここで重要なのは、AIを否定することではありません。

むしろ、AIがあるからこそ、

「何をAIに任せ、何を自分自身でやるのか」

を意識的に選択できるようになった、と考えることができます。

例えば、創作活動の中でも、自分にとって重要な部分と、そうではない部分があります。

自分が演奏することに喜びを感じるなら、そこは自分でやればいい。

一方で、自分が絵を描くことに特別な関心がなければ、画像生成AIを使ってもいい。

予算があれば、イラストレーターやデザイナーに依頼してもいい。

ここに矛盾はありません。

重要なのは「AIを使うか使わないか」ではなく、

「そのプロセスを自分自身で経験したいのか」

ということだからです。


人間とのコラボレーションには、別の価値がある

そして、ここからさらに興味深い問題が出てきます。

もし余裕があるなら、AIに任せるのではなく、人間のアーティストやミュージシャンとコラボレーションしたい。

これは単に「AIより人間のほうが優れている」という話ではありません。

人間同士で何かを作るとき、作品にはその人との関係性まで含まれていきます。

一緒に演奏する。

アイデアを交換する。

意見が食い違う。

相手から予想外の提案をされる。

そこから新しいものが生まれる。

そして完成した作品を後から聴いたとき、

「この音が良い」

というだけではなく、

「この人と一緒に作った」

という記憶まで蘇ります。

作品が、人間関係の記憶媒体になるのです。


AIにはできない「身体を共有する」ということ

人間同士の関係には、情報交換だけでは説明できないものがあります。

声。

表情。

視線。

距離。

呼吸。

身体の動き。

同じ空間にいるという感覚。

一緒に笑うこと。

一緒に演奏すること。

こうしたものは、単なるデータの交換ではありません。

身体を持った生命同士が、同じ環境の中で互いに反応している。

そこには、人間の生物としての仕組みに根ざした喜びがあります。

AIとの会話がどれほど高度になったとしても、これは別の領域です。

だからこそ、AIが高度になればなるほど、逆説的に、

「人間同士が身体を持って関わることの価値」

が改めて見えてくる可能性があります。


AIは「他者」の代わりではなく、「自己との対話」の道具にもなる

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一方で、AIとの関係を否定する必要もありません。

むしろAIには、人間にはない独特の価値があります。

自分の考えを投げかける。

別の角度から答えてもらう。

反論してもらう。

考えを整理する。

さらに問い直す。

そうしていると、AIと会話しているようでありながら、実際には自分自身の思考を掘り下げていることがあります。

AIが答えを与えるのではなく、

AIを鏡として、自分の考えを見る。

この使い方は、AI時代における一つの重要な可能性ではないでしょうか。


AI時代に必要なのは、「自分の境界線」を知ること

AIができることは、これからさらに増えていくでしょう。

だからといって、すべてをAIに任せる必要はありません。

むしろ、

「ここはAIに任せたい」

「ここは自分でやりたい」

「ここは人間と一緒にやりたい」

という境界線を、自分自身で決めることが重要になるのだと思います。

それは人によって違います。

ある人にとっては、作曲をAIに任せても問題ないかもしれません。

別の人にとっては、ピアノを弾くことそのものが人生の喜びかもしれません。

誰かにとっては、料理をAIやサービスに任せることが快適でも、誰かにとっては自分で包丁を握ることに価値がある。

正解はありません。

重要なのは、

「自分は何をすることで、自分自身が変化していると感じるのか」

ということです。


「何かを作る」とは、「自分を作る」ことなのかもしれない

AIによって、作品を作ることはますます簡単になっていくでしょう。

だからこそ、人間が創作する意味も変わっていくのかもしれません。

これからは、

「AIより上手に作れるか」

「AIより速く作れるか」

だけが重要なのではない。

むしろ、

「この作品を作ることで、自分自身は何を獲得したのか」

という問いが重要になる。

昨日できなかったことができるようになった。

昨日知らなかったことを知った。

昨日見えなかったものが見えるようになった。

昨日の自分には存在しなかった世界が、今日の自分の中には存在している。

そう考えると、創作とは作品を生産する行為であると同時に、

自分自身を少しずつ作り変えていく行為

なのかもしれません。

AIが何でも作れる時代になったとしても、人間が何かを作ることの意味はなくならない。

むしろ、

「それでも自分は何を自分の手でやりたいのか?」

という問いが、これまで以上に重要になっていく。

AIに何ができるのか。

それを考えることも大切です。

しかし、それと同じくらい、

「AIが何でもできるようになったとき、それでも私は何をしたいのか?」

と問い続けること。

そこに、AI時代を生きる私たち自身の「生き方」が見えてくるのではないでしょうか。

 

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付録ー調声に最適なヘッドフォン!


付録として、エムフリお気に入りのお薦めグッズをここに掲載します!

今回は調整作業に使っている、ヘッドフォンです。


僕は基本的にヘッドフォンで音楽を聴くのは好きではなくて、アナログ録音時のモニターか雑音などの最終チェックにしか使いません。

その理由は再生音がヘッドフォンによる特性にかなり左右されるからです。なので制作時にはその目的に応じた音のヘッドフォンを選択することになります。録音時のモニターや雑音を検知するのに適したものを選びます。

ただ、ヘッドフォンはそれほど好きではないのです。空間を介さない直接耳に伝える音なので、どちらかというと好んで使うというよりも、作業工程で仕方なく使うことが多いです。

購入までの経緯

最近、SynthesizerVで調声をするようになって、MacBookPROを使用して外出先などでも作業するようになりました。そうするとヘッドフォンは必須となってきます。長時間装着して疲れなければ、まぁイイかくらいで適当に選んでいました。

当初はデザイン性からTeenage Engineering のヘッドフォンを使用していました。オシャレな感じと携帯に便利なので使っていました。ハイがカットされて中低位域がモッコリするのですが、聞き疲れしないので気に入っていました。しかし、カバンに入れて持ち歩いていると可動部分が折れてしまいました。

気に入っていたので(デザインが〜笑)再注文して、ついでにいろいろ検索していると「アシダボックス」なるものを見つけました。ものすごく評判が良くて一時期は入手困難な状態が続いていました。日本のメーカーでデザインがなんともレトロ。

Teenage Engineeringのヘッドフォンよりも安かったのでポチってみました。

調声に最適

結論からいいますと、めっちゃイイです。特にSynthesizerVの調声作業にバッチリです!

丁度、人の声の部分が聞きやすくて微細な変化もこのヘッドフォンだと聞き逃すことがないです。SynthesizerVで調声をされている方には、是非是非お薦めのヘッドフォンです。コスパも良いです。

同じデザインで、ST-90-05ST-90-07というのがあります。僕が購入したのはST-90-07のほうです。評判になっていたのはST-90-05のほうなのですが、さらにパーツのグレードを上げて音をよくしたのががST-90-07です。

低域はあんまり出ませんので、そういった需要の音楽には不向きです。声が聴き取りやすいので、調声とは抜群に相性がイイです。先にもいったようにヘッドフォンは、その目的に応じて使うのが理想的で万能性を求めるものではありません。

最初にいったようにヘッドフォンを使うのはあまり好きではないのですが、これはかなりお薦めです。これを使い出してから、SynthesizerVの調声で細部の音の動きに迷うことが減って作業効率が上がりました。

とにかく声の微細な変化がとてもわかりやすいので、是非使ってみてください!


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