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最近、NetflixでNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていて、音楽について気になることがありました。
劇中に、あまりにも聞き覚えのあるクラシック音楽のフレーズが何度も登場するのです。
ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》。ヴィヴァルディの《四季》。バッハの《無伴奏チェロ組曲》。そしてモーツァルトの《レクイエム》。
「影響を受けた」とか「どこか似ている」というレベルではありません。
少しアレンジされてはいるものの、元となった曲を知っている人なら、かなり簡単に気づく使われ方です。
実際、作曲家の三枝成彰氏も同じ点を指摘していました。三枝氏は『鎌倉殿の13人』の音楽について、ドヴォルザーク、ヴィヴァルディ、バッハ、モーツァルトなどの既存曲が使われていることに強い違和感を表明しています。
私自身も、ほとんど同じ曲が耳に引っかかりました。
しかし不思議だったのは、どれも「盗用するには有名すぎる」ことです。
《新世界より》など、クラシックに詳しくなくても聞いたことがある人が多いでしょう。
もし本当に他人の作品を自分のものとして隠そうとするなら、これほど分かりやすい素材を選ぶとは考えにくい。
そこには最初から、何らかの意図があるように感じました。
『フリーレン』で高く評価していた作曲家だった

『鎌倉殿の13人』の音楽を担当しているのはEvan Call(エバン・コール)氏です。
私は彼の音楽を『葬送のフリーレン』で聴き、大変高く評価していました。
作品の世界観に寄り添いながら、音楽だけが感情を語りすぎない。
ケルト音楽や古楽器の語法を取り入れながらも、それが単なる「中世ファンタジー風BGM」にならず、フリーレンという作品独特の時間感覚や、人間の記憶、旅の距離感につながっている。
非常に優れた劇伴だと感じています。
だからこそ『鎌倉殿の13人』を見たとき、正直なところ少しがっかりしました。
「この作曲家は、こんなに露骨に既存の名曲を使う人だったのか」
そう感じてしまったのです。
ところが、制作の背景を知ると、見え方が大きく変わりました。
《新世界より》を使うことを決めたのは作曲家ではなかった
『鎌倉殿の13人』でクラシック音楽を使うというアイデアは、チーフ演出の吉田照幸氏によるものでした。
制作統括のインタビューでも、古典劇らしい重厚さを出すために吉田氏が曲を指定し、それをエバン・コール氏にアレンジしてもらったことが説明されています。
《新世界より》についても、エバン氏本人が詳しく語っています。
「時代が変わり、新しい世界へ向かう」という意味から《新世界より》を使うという発想が演出側から提示された。
さらに制作側から、日本人なら誰でも知っているメロディーを加えてほしいという注文まであったそうです。
そして非常に興味深いのが、エバン氏自身の反応です。
彼はこの提案を受けた当初について「動揺した」と語り、基本的には自分のメロディーで表現したいという考えも明らかにしています。演出の吉田氏自身も、この件についてエバン氏に強くお願いした趣旨の発言をしていました。最終的にはエバン氏も、自分のアイデンティティを入れたアレンジとして仕事を楽しめたと振り返っています。
これを知って、私はかなり腑に落ちました。
私が『鎌倉殿の13人』を聴いて感じていた違和感は、必ずしもエバン・コールという作曲家自身の美意識から生まれたものではなかったのです。
『フリーレン』では逆のことが起きていた
ここで『葬送のフリーレン』の制作過程と比較すると、さらに面白くなります。
『フリーレン』ではエバン氏は、制作スタッフから具体的な音楽のオーダーを受ける前に、自分でメインテーマを作っていました。
まず原作から自分が感じた世界観を音にして、
「自分はこの作品をこう考えています」
と制作側に提示したのです。
その方向性が高く評価され、作品全体の音楽へ発展していきました。
つまり『フリーレン』では、音楽の上流部分――「この作品をどう音にするのか」という最初の選択から、作曲家自身が強く関わっている。
一方、『鎌倉殿の13人』のクラシック引用については、「何を使うか」という最も根本的な部分が、すでに演出側から提示されていた。
同じ作曲家でも、置かれた環境が違えば、完成するものも大きく違います。
そして私たち視聴者に見えるのは、最終的な完成品と、
「音楽 Evan Call」
というクレジットだけです。
仕事をきちんとした結果、誤解されることがある
ここには、クリエイター特有の少し残酷な構造があります。
演出家が、
「この場面では《新世界より》を使いたい」
と考える。
そこに悪意を想定する必要はありません。
作品をより面白くしたいという演出上のアイデアでしょう。
そして作曲家は、その要求をプロフェッショナルとして実現する。
尺を合わせ、オーケストレーションを組み直し、作品全体の音楽と違和感なくつながるように仕上げる。
これは仕事としては正しい。
むしろ優秀だからこそ、要求されたものを高い水準で完成させられる。
ところが視聴者には、そこで行われた意思決定の過程は見えません。
結果だけを聞いて、
「この作曲家はこういう音楽を書く人なんだ」
と判断する。
つまり、
仕事をきちんと遂行した人が、その仕事の意思決定まで行った人として評価されてしまう。
これはなかなか厄介な構造です。
三枝成彰氏の批判にも「背景」がある
そして、ここでもう一人考えてみたいのが三枝成彰氏です。
氏の『鎌倉殿の13人』に対する批判だけを読めば、人によっては、
「大御所の作曲家が若い世代の作曲家に厳しいことを言っている」
と受け取るかもしれません。
しかし三枝氏にも背景があります。
三枝氏自身、1991年のNHK大河ドラマ『太平記』、そして1994年の『花の乱』で音楽を担当しています。
特に『太平記』は鎌倉幕府末期から建武政権、南北朝、室町幕府成立へと向かう物語です。
『鎌倉殿の13人』とは時代そのものは異なりますが、執権政治からその後の武家社会へと連なる歴史の延長上にあります。
しかも大河ドラマは一年間続く巨大な仕事です。
現在のようにDAW上で修正し、譜面を瞬時に出力できる環境がなかった時代に、大量の劇伴を書き、オーケストラ用のスコアを仕上げていった作曲家です。
そういう人が、
「大河ドラマの音楽を担当する作曲家が、なぜこれほど既存のクラシックを使うのか」
と感じたとしても、その感情には彼自身の職業経験という背景があります。
もちろん、だから三枝氏の批判がすべて正しいという話ではありません。
むしろ重要なのは逆です。
三枝氏の発言も、その背景を知らなければ違ったものに見える。
エバン・コール氏だけではないのです。
私自身、NHKの仕事を経験して感じること

私自身も、これまでNHKから作曲の依頼を受けた経験があります。
もちろん案件によって条件は異なりますが、私の経験では、最初の作曲料だけを見ると一般的な相場より少し控えめに感じることがありました。
一方で、再放送など二次利用に伴う収入の仕組みや、その後の仕事へつながる信頼関係という点では、単純な「一曲いくら」では測れない側面があります。
そして大きな組織との仕事では、一度信頼関係ができれば次の仕事につながることもあります。
そう考えると、
「嫌なら断ればいい」
というほど単純ではありません。
もちろん形式上は断れます。
しかし、
「今回この要求を拒否したとき、その後の関係はどうなるのか」
まで含めれば、すべての選択肢が同じ重さで存在しているわけではない。
これはNHKに限った話でも、音楽業界だけの話でもないでしょう。
決定権と責任が同じ場所にあるとは限らない
一般の会社でも同じことが起こります。
使いにくいWebサービスを見て、
「このデザイナーはセンスがない」
と思う。
しかし本当は、最初に提案したデザインを上司やクライアントが何度も変更した結果かもしれません。
店員の対応を見て、
「融通の利かない人だ」
と思う。
しかしその人は会社の規則を説明しているだけかもしれない。
失敗した企画の担当者を見て、
「この人には企画力がない」
と思う。
しかし最初の企画案とは全く違うものを、経営側の判断で実行することになったのかもしれない。
ここで起きているのは、
責任と裁量の非対称
です。
決定する人と、実行する人が違う。
しかし外部から見えるのは実行した人なので、その人が評価を引き受ける。
これはクリエイターに限らず、組織の中では非常によく起こることです。
「何をしたか」だけでなく「何を選べたか」を見る
もちろん、だからといって成果物から人を評価してはいけないということではありません。
仕事なのですから、成果には当然責任があります。
しかし人の資質まで考えるのであれば、
「何をしたのか」だけでなく、「その人は何を選べたのか」
を見る必要があります。
本人が自由に選べる状況で何を選んだのか。
どんな提案をしたのか。
何を残し、何を捨てたのか。
そこには、その人自身の資質がかなり現れます。
『フリーレン』でエバン・コール氏が、正式なオーダーより先に自分から作品の音楽像を提示したという話は、その意味でも興味深いものです。
そして逆に、本人の裁量が小さい仕事だけを見て、
「この人はこういう作家だ」
と断定するのは危険です。
一度、「なぜだろう」と考えてみる
今回、私は『鎌倉殿の13人』を見て、
「エバン・コールという作曲家は、こんな作り方をする人だったのか」
と感じました。
しかし制作背景を知ることで、その評価は大きく変わりました。
そしてエバン氏を批判していた三枝成彰氏について考えてみると、今度は三枝氏にも、大河ドラマの音楽を実際に背負ってきた作曲家としての背景があることに気づきます。
一人の背景を知ると、別の人の背景も見えてくる。
ここが今回、一番興味深かったところです。
私たちは物事を見て、瞬間的に判断します。
それ自体は仕方のないことです。
しかし、
「こう見えた」
から、
「この人はこういう人だ」
へ進む前に、
一度だけ、
「なぜこうなったのだろう?」
を挟んでみる。
それだけで見える景色が変わることがあります。
感じる。
背景を考える。
そして判断する。
SNSの短い動画や断片的な発言から、瞬時に誰かを評価できてしまう時代だからこそ、この一手間は以前より重要になっているのかもしれません。
作品を見る。
人を見る。
そして、
その間にある事情も見る。
『鎌倉殿の13人』の音楽について考えていたはずが、最後にはそんな当たり前でありながら難しいことを考えさせられました。