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生成AIについて語られるとき、話はしばしば二つの方向に分かれます。
「便利で素晴らしい技術だ」
という肯定的な意見と、
「著作権侵害や偽物を生み出す危険な技術だ」
という否定的な意見です。
しかし私は、この二つだけで生成AIを捉えるのは少し違うように思っています。
生成AIそのものには、良い使い方も悪い使い方もあります。
創作のアイデアを広げることもできる。
学習を助けることもできる。
音楽や映像制作のハードルを下げることもできる。
一方で、他人の作品を無断で利用したり、偽物を作ったり、誰かの表現を自分の利益に変換したりすることにも使えてしまう。
問題はAIそのものというより、
「便利な技術を、人間がどう使うのか」
というところにあります。
そして最近、ある身近な出来事を通して、そのことを改めて考えました。
「この曲を聴きたい」という、ごく自然な感情
YouTubeチャンネル「ジャックポット」の動画では、エンディングに印象的な楽曲が使われています。
しかし、その曲は一般的な音楽配信サービスで正式にリリースされている楽曲ではありません。
動画を見ている人の中には、
「この曲をフルで聴きたい」
と思う人も当然いるでしょう。
私自身も、その気持ちはよくわかります。
好きな曲なら、最初から最後まで聴いてみたい。
ここまでは、ごく自然な感情です。
ところが以前、その楽曲を非公式に扱った動画が公開されているのを目にしたことがありました。
ここでは特定の投稿者を批判することが目的ではありません。
むしろ私が興味を持ったのは、その動画を見た人たちの反応でした。
「この曲を聴けてありがたい」
「フルで聴けるのがうれしい」
そんな反応が生まれます。
これもまた、非常に自然な感情だと思います。
しかし、ここに今回考えたい問題があります。
「ありがとう」が先に来ると、権利は見えなくなる

私たちは、自分が欲しかったものを誰かが提供してくれると、その相手に好意を持ちます。
公式では聴けない。
でも、ここなら聴ける。
そうなると、投稿者は
「権利関係がよくわからない第三者」
ではなく、
「自分の欲求を満たしてくれた人」
になります。
すると本来であれば一度考えるはずの、
「これは公式なのか」
「この投稿者は公開する権利を持っているのか」
「元の制作者はどう考えているのか」
といった疑問が後ろに追いやられてしまいます。
先に出てくるのは、
「ありがとう」
「もっと聴きたい」
「この人を応援したい」
という感情です。
私はここが、非常に重要だと思っています。
権利問題というと、悪意を持った人間が故意にルールを破る場面を想像しがちです。
しかし実際には、
悪意ではなく、好意によって問題が見えなくなることがある。
これは意外に見落とされやすい点ではないでしょうか。
生成AIは「欲しい」と「手に入る」の距離を縮めた
そして、この問題は生成AIの登場によってさらに大きくなります。
以前にも、無断転載や違法コピーはありました。
しかし何かを作るためには、それなりの技術や時間が必要でした。
動画を編集する。
音源を加工する。
画像を作る。
声を似せる。
そうした行為には一定の手間がありました。
ところが生成AIは、その手間を大きく減らしました。
「この人の声でこの曲を聴きたい」
と思えば、生成できる。
「存在しない続きを見たい」
と思えば、生成できる。
「こんな画像が欲しい」
と思えば、生成できる。
つまり、
欲しい → 作る → 見る・聴く
までの距離が急激に短くなったのです。
これは素晴らしいことでもあります。
創作の可能性は確実に広がりました。
しかし同時に、別の問題も生まれます。
技術的な摩擦と一緒に倫理的な摩擦まで消えてしまう
以前であれば、
「これを作るにはかなり手間がかかる」
という技術的な摩擦がありました。
その途中で、
「そもそも、これはやっていいのだろうか」
と考える時間も生まれます。
ところが生成AIは、その摩擦を取り除いてくれます。
これは本来、大きなメリットです。
しかし、
技術的な摩擦と一緒に、倫理的に考える時間まで取り除いてしまう可能性がある。
ここに私は、生成AI時代の一つの危うさを感じています。
AIが悪いのではありません。
むしろAIは、
「できますよ」
と言っているだけです。
しかし、
できることと、やってよいことは同じではありません。
この二つの間には、本来人間の判断が必要です。
SNSが「欲しい」をさらに加速させる

さらに、この問題にSNSが組み合わさります。
誰かが生成する。
誰かの欲求に刺さる。
「ありがとう」という反応が集まる。
再生数が増える。
アルゴリズムがさらに拡散する。
投稿者には、
「これは需要がある」
というフィードバックが返ってくる。
すると、さらに似たコンテンツが作られます。
そこには、
欲求 → 生成 → 満足 → 評価 → 拡散 → さらなる生成
という循環が生まれます。
ここで重要なのは、この循環を作るために、必ずしも強い悪意を持った人間が必要ではないということです。
作る側は、
「喜んでもらえるから」
と思っているかもしれない。
見る側は、
「聴けてうれしい」
と思っている。
SNSは、
「反応が多いから広げる」
という処理をする。
それぞれが自分の立場では自然に行動している。
しかし、その結果として、
元の作品を作った人や、作品を管理している人が置き去りになることがある。
ここが問題なのだと思います。
投稿する側だけを責めても解決しない
このような問題が起きると、
「悪質な投稿者を取り締まればいい」
という話になりがちです。
もちろん、明確な権利侵害があれば適切に対処されるべきでしょう。
しかし、それだけでは問題の半分しか見ていません。
なぜなら、そのコンテンツを求める人がいるからです。
「この曲を聴きたい」
「この声で歌ってほしい」
「この映像を見たい」
という需要がある。
そして誰かがそれに応える。
つまり生成AI時代には、作る側だけでなく、
見る側、聴く側のリテラシーも同じくらい重要になる
のではないでしょうか。
ネット上に存在している。
多くの人が見ている。
削除されていない。
人気がある。
それらは、
「正当に公開されている」ことの証明にはなりません。
ここを利用者側も意識する必要があります。
「AIだから誰のものでもない」は成立しない
生成AIが関わる作品では、さらに一つ誤解が生まれやすくなります。
「AIが作ったんだから、誰のものでもないでしょう」
という考え方です。
しかし実際の創作は、そんなに単純ではありません。
どんなプロンプトを使ったのか。
どの生成結果を選んだのか。
どの部分を修正したのか。
どこに配置したのか。
どの作品の一部として使ったのか。
そこには、人間の選択や編集が存在します。
さらに、その成果物を自分たちの動画や作品の一部として採用している人もいます。
つまり、
AIが制作工程に使われていることと、それを誰でも自由に利用してよいことは別問題です。
ここを混同すると、
「AIだからいいだろう」
という非常に便利な言い訳が生まれてしまいます。
生成AIへの向き合い方で、クリエイターの立ち位置が見える

以前、
「生成AIへの捉え方で、そのクリエイターの立ち位置がわかる」
ということについて書いたことがあります。
今回の話も、その延長にあります。
生成AIを前にしたとき、
「どれだけ効率よく成果物を作れるか」
「どれだけ数字を取れるか」
「他人の作品も素材として使えるか」
という方向に意識が向く人もいるでしょう。
一方で、
「どうすれば自分の表現を広げられるか」
「元の作品や作者への敬意をどう保つか」
「どこまでなら自分の創作として責任を持てるか」
と考える人もいます。
AIそのものが人間の価値観を変えるというより、
AIによって、その人がもともと持っていた価値観が見えやすくなる。
私はそう感じています。
そして今回は、それが作る側だけでなく、見る側にも当てはまることを感じました。
「一拍置く」という人間の仕事
では、どうすればよいのでしょうか。
生成AIを禁止する。
SNSを規制する。
それだけでは、本質的な解決にはならないと思います。
生成AIには明らかに大きな可能性があります。
私自身も、AIを創作や思考の補助として使っています。
だからこそ必要なのは、
「使わないこと」ではなく、「一拍置くこと」
ではないでしょうか。
欲しい。
作れる。
見られる。
聴ける。
その直前に、ほんの一度だけ考える。
「これは誰かの作品ではないか」
「この使い方は相手が見ても納得できるだろうか」
「自分が逆の立場ならどう感じるだろうか」
それだけでも、かなり違うと思います。
便利だからこそ、自分でブレーキを持つ
生成AIは、人間の「欲しい」に非常に速く応えてくれます。
これは、おそらく今後さらに加速していくでしょう。
そして私は、それ自体を悪いことだとは思いません。
むしろ創作にとって、とても魅力的な時代です。
ただし、
欲しいものがすぐに手に入るからこそ、その入手方法について自分で考える必要がある。
技術的な制約が減れば減るほど、
「できないからやらない」
という世界から、
「できるけれど、やらない」
と判断する世界へ変わっていきます。
これは生成AIに限った話ではありません。
しかし生成AIは、その変化をとてもわかりやすい形で私たちに突きつけています。
生成AIの本当の問題は、
「悪いものを作れること」
だけではありません。
人間の「欲しい」という感情に、あまりにも速く応えられるために、
その途中にあった権利や倫理を考える時間まで消してしまうこと。
私はそこに注意する必要があると思っています。
そして、そのブレーキを持つのはAIではありません。
最後に判断するのは、やはり人間です。
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付録ー調声に最適なヘッドフォン!
付録として、お気に入りのお薦めグッズをここに掲載します!
今回は調整作業に使っている、ヘッドフォンです。
僕は基本的にヘッドフォンで音楽を聴くのは好きではなくて、アナログ録音時のモニターか雑音などの最終チェックにしか使いません。
その理由は再生音がヘッドフォンによる特性にかなり左右されるからです。なので制作時にはその目的に応じた音のヘッドフォンを選択することになります。録音時のモニターや雑音を検知するのに適したものを選びます。
ただ、ヘッドフォンはそれほど好きではないのです。空間を介さない直接耳に伝える音なので、どちらかというと好んで使うというよりも、作業工程で仕方なく使うことが多いです。
♡購入までの経緯
最近、SynthesizerVで調声をするようになって、MacBookPROを使用して外出先などでも作業するようになりました。そうするとヘッドフォンは必須となってきます。長時間装着して疲れなければ、まぁイイかくらいで適当に選んでいました。
当初はデザイン性からTeenage Engineering のヘッドフォンを使用していました。オシャレな感じと携帯に便利なので使っていました。ハイがカットされて中低位域がモッコリするのですが、聞き疲れしないので気に入っていました。しかし、カバンに入れて持ち歩いていると可動部分が折れてしまいました。
気に入っていたので(デザインが〜笑)再注文して、ついでにいろいろ検索していると「アシダボックス」なるものを見つけました。ものすごく評判が良くて一時期は入手困難な状態が続いていました。日本のメーカーでデザインがなんともレトロ。
Teenage Engineeringのヘッドフォンよりも安かったのでポチってみました。
♡調声に最適
結論からいいますと、めっちゃイイです。特にSynthesizerVの調声作業にバッチリです!
丁度、人の声の部分が聞きやすくて微細な変化もこのヘッドフォンだと聞き逃すことがないです。SynthesizerVで調声をされている方には、是非是非お薦めのヘッドフォンです。コスパも良いです。
同じデザインで、ST-90-05とST-90-07というのがあります。僕が購入したのはST-90-07のほうです。評判になっていたのはST-90-05のほうなのですが、さらにパーツのグレードを上げて音をよくしたのががST-90-07です。
低域はあんまり出ませんので、そういった需要の音楽には不向きです。声が聴き取りやすいので、調声とは抜群に相性がイイです。先にもいったようにヘッドフォンは、その目的に応じて使うのが理想的で万能性を求めるものではありません。
最初にいったようにヘッドフォンを使うのはあまり好きではないのですが、これはかなりお薦めです。これを使い出してから、SynthesizerVの調声で細部の音の動きに迷うことが減って作業効率が上がりました。
とにかく声の微細な変化がとてもわかりやすいので、是非使ってみてください!
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