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音楽制作をしていると、どうしても「良い音」を意識するようになります。
より解像度の高い音。
より自然なダイナミクス。
より優れたマイク。
より高性能なプラグイン。
より正確なモニタースピーカー。
音楽を作る以上、こうしたことはもちろん大切です。
けれど、ときどき思うことがあります。
音楽に必要なのは、本当に「良い音」だけなのだろうか。
音楽というものを、もう少し人間側から眺めてみると、そこには「遊び」というものがあることに気づきます。
何のためでもなく楽器を触る。
意味もなくノブを回す。
普段使わない機材に音を通してみる。
古いカセットテープを見つけて、何が入っているのか確かめてみる。
こうした行為は、効率という尺度で考えれば、あまり意味がないのかもしれません。
しかし私は、そこにこそ人間の感性と音楽の大切なつながりがあるのではないかと思っています。
「遊ぶ」ことには目的がない

子どもが積み木で遊んでいるとき、必ずしも何かを完成させようとしているわけではありません。
積んでは崩し、また積む。
音楽にも、これとよく似た時間があります。
ピアノの前に座って、何となく鍵盤を押す。
ギターを手に取って、意味もなくコードを鳴らす。
シンセサイザーのつまみを回して、「こんな音が出るのか」と試してみる。
そこには明確な目的がないことがあります。
曲を作るためでもない。
練習のためでもない。
仕事のためでもない。
ただ、触ってみたいから触る。
この「触ってみたい」という感覚は、非常に人間的なものだと思います。
そして、遊びの面白さは、その先に何が起こるのか本人にも分からないところにあります。
「こうなるはずだ」と決めてから行動するのではなく、行動してみた結果を見て、次の行動を決める。
そこには、偶然と発見があります。
音楽機材は「道具」であると同時に「遊び道具」
音楽機材について考えるとき、私たちはつい性能で比較します。
どちらが高音質なのか。
どちらが正確なのか。
どちらが多機能なのか。
しかし、もう一つの評価軸があってもいいのではないでしょうか。
「触りたくなるか」
これはスペック表には出てきません。
少し変わったアンプにギターをつないでみる。
普段とは違うマイクで録ってみる。
古い機材を引っ張り出してみる。
あるいは、Teenage Engineeringのように、製品そのものに「触ってみたくなる」感覚が組み込まれた機材に触れてみる。
そこでは、機材は単なる音を作るための道具ではありません。
人間の行動を誘発するものになっています。
「これを使えば何ができるか」ではなく、
「これを触ったら何が起こるんだろう」
という好奇心を生み出す。
私は、音楽機材における「遊び」の価値は、この部分にあると思っています。
「良い音」と「面白い音」は違う
ここで、「良い音」と「面白い音」を分けて考えてみるのも面白いかもしれません。
良い音とは、ある意味では評価できます。
解像度が高い。
ノイズが少ない。
周波数特性が整っている。
ダイナミクスが自然である。
ところが、「面白い音」は少し違います。
なぜ面白いのか、説明できないことがあります。
少し癖がある。
少し古い。
少し歪んでいる。
予想と違う。
その音を聴いたことで、「じゃあ、こうしてみよう」と次の行動が生まれる。
つまり、「面白い音」は、それ自体が完成された価値というより、人間の想像力を動かすきっかけになるのです。
だから音楽制作において、すべてを「良い音」にしてしまうことが、必ずしも良い結果につながるとは限りません。
少し不完全なもの。
少し癖のあるもの。
少し扱いにくいもの。
そうしたものが、逆に人間を遊ばせてくれることがあります。
カセットテープが連れてくるもの
このことを考えていると、以前書いたカセットテープと音楽の話にもつながってきます。
カセットテープは、現在のストリーミングサービスと比べれば、決して便利なメディアではありません。
聴きたい曲を瞬時に検索することもできない。
曲を選ぶにも少し手間がかかる。
テープを入れて、再生ボタンを押す。
それでも、私は古いカセットテープを聴くことがあります。
最近では、もともとは英会話の学習のために使っていた携帯用カセットプレイヤー、B-1000EWで、父が残した古い音楽テープを聴くこともあります。
同じ音源をSpotifyで聴くこともできます。
音質だけを比較すれば、ストリーミングのほうが便利でしょう。
それでも、カセットには別のものがあります。
テープを手に取る。
古いラベルを見る。
再生ボタンを押す。
少しノイズのある音が流れてくる。
すると、その音楽だけではなく、その音楽が存在していた時代の風景まで想像してしまうことがあります。
「この頃、父はこの音楽を聴いていたのだろうか。」
「このテープは、どこで録音されたのだろう。」
「この音楽が聴かれていた頃は、どんな時間だったのだろう。」
音源そのものに記録されていないはずのものまで、自分の中から立ち上がってくる。
これは、音質の良し悪しとは別の価値です。
カセットテープが特別な情報を与えてくれるわけではありません。
こちら側の感性が、そこに意味や風景を付け加えている。
だから、同じ音楽でも聴き方が変わるのです。
「遊び」には、身体と意思と想像力がある

ここで、遊びというものについて少し考えてみたいと思います。
人間が遊ぶとき、そこには身体があります。
触る。
動かす。
聴く。
見る。
そして、そこには意思があります。
「やってみよう。」
さらに想像力があります。
「これをやったら、どうなるだろう。」
その結果を見て、また次の行動を選ぶ。
この繰り返しが遊びになります。
だから遊びは、単なる「ランダムな行動」ではありません。
自分から世界に働きかけ、その反応を受け取り、また働きかけること。
その循環そのものが楽しいのです。
楽器を弾くことも、機材を触ることも、古いカセットを聴くことも、実は同じ構造を持っています。
遊びは「非生産的」なのか
現代では、時間を効率的に使うことが重視されます。
勉強する。
仕事をする。
情報を収集する。
スキルを身につける。
もちろん、それは大切なことです。
しかし、すべての時間に成果を求める必要があるのでしょうか。
何となくギターを弾いた。
何も曲はできなかった。
シンセを30分触った。
結局、使える音は一つも見つからなかった。
古いカセットを聴いていたら、いつの間にか時間が過ぎていた。
こうした時間を、「何も生み出さなかった」と考えることもできます。
けれど私は、むしろそこに心のゆとりがあると思います。
遊びとは、
何かを生み出すための余白ではなく、何も生み出さなくても許される余白
なのではないでしょうか。
そして不思議なことに、そうした余白から、後になって思いがけないアイデアが生まれることがあります。
だから遊びは、必ずしも生産性の反対ではありません。
ただし、「生産性のために遊ぶ」と考えてしまった瞬間、それはもう遊びではなくなってしまう。
何も役に立たなくてもいい。
そこに価値があります。
AIと「遊ぶ」という発想
そして、ここからAIについて考えると、少し面白い景色が見えてきます。
AIは、目的を与えると結果を返すことが非常に得意です。
「この曲を作ってください。」
「この文章を書いてください。」
「この画像を作ってください。」
「この問題を解いてください。」
そうすると、結果が返ってきます。
これは非常に便利なことです。
しかし、AIとの関係を「結果を得るためのもの」だけに限定する必要はありません。
例えば、
「変なコード進行を考えて。」
「絶対に普通ではないリズムを作って。」
「この楽器の変な使い方を考えて。」
「このアイデアを、もっとおかしくして。」
そんなふうにAIに話しかけてみる。
AIが答える。
それを見て、
「いや、それじゃない(笑)」
と思う。
では、もう一度やってみる。
これは、少し楽器に似ています。
AIから答えをもらうのではなく、AIとのやり取りそのものを楽しむ。
つまり、AIを「道具」から「遊び相手」へ変えてみるのです。
AIが「遊ぶ」ようになったら
もちろん、将来的にはAIが今よりはるかに高度になり、「遊んでいるように見える」行動をすることも可能になるでしょう。
AI自身が目的を設定し、試行錯誤し、面白いものとつまらないものを判断し、予想外のことを始める。
そんな時代が来る可能性はあります。
それでも、人間には一つの大きな特徴があります。
遊ぶための身体がある。
そして、
遊ぶための意思と想像力がある。
古いカセットテープを見つけて、「聴いてみよう」と思う。
古いアンプにギターをつないで、「どんな音になるんだろう」と考える。
シンセサイザーのつまみを回して、偶然出てきた音に反応する。
こうした行為は、単に情報を処理しているのとは違います。
そこには、触れること、感じること、記憶すること、想像することがあります。
そして何より、
「やってみたい」
という意思があります。
遊びを残しておきたい

AIによって、これから私たちはますます多くのことを効率化できるようになるでしょう。
曲も作れる。
画像も作れる。
文章も作れる。
情報もすぐに探せる。
そのこと自体は、とても素晴らしいことです。
だからこそ私は、逆に「遊ぶ時間」を残しておきたいと思います。
何となく楽器を触る。
古いカセットを聴く。
少し癖のある機材を試す。
意味のない音を出してみる。
AIにくだらないことを聞いてみる。
そして、何も成果が出なくても、そのまま終わる。
それでいい。
むしろ、そういう時間があることが大切なのではないでしょうか。
音楽には、もともとそういうところがあります。
人は、必要だから歌うとは限らない。
必要だから楽器を弾くとも限らない。
ただ、音を出してみたい。
誰かと音を合わせてみたい。
この音とこの音を組み合わせたらどうなるのか知りたい。
その好奇心から音楽が始まることがあります。
だから私は、「遊び」を単なる娯楽とは考えたくありません。
遊びとは、人間が世界と関わるための、とても根源的な方法なのだと思います。
そして音楽は、そのことをとても素直に教えてくれるものです。
良い音を追い求めることも大切です。
技術を磨くことも大切です。
AIを使って効率化することも大切です。
けれど、そのすべての間に、
「ちょっと遊んでみよう」
という時間があってもいい。
いや、これからの時代だからこそ、その時間を意識的に持つことが大切なのかもしれません。
遊びは、何かの役に立つために存在するのではない。
何の役に立たなくてもいい時間があること。
その心の余白こそが、人間の感性を守り、そして新しいものを想像する力にもつながっていくのではないでしょうか。
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付録ー調声に最適なヘッドフォン!
付録として、エムフリお気に入りのお薦めグッズをここに掲載します!
今回は調整作業に使っている、ヘッドフォンです。
僕は基本的にヘッドフォンで音楽を聴くのは好きではなくて、アナログ録音時のモニターか雑音などの最終チェックにしか使いません。
その理由は再生音がヘッドフォンによる特性にかなり左右されるからです。なので制作時にはその目的に応じた音のヘッドフォンを選択することになります。録音時のモニターや雑音を検知するのに適したものを選びます。
ただ、ヘッドフォンはそれほど好きではないのです。空間を介さない直接耳に伝える音なので、どちらかというと好んで使うというよりも、作業工程で仕方なく使うことが多いです。
♡購入までの経緯
最近、SynthesizerVで調声をするようになって、MacBookPROを使用して外出先などでも作業するようになりました。そうするとヘッドフォンは必須となってきます。長時間装着して疲れなければ、まぁイイかくらいで適当に選んでいました。
当初はデザイン性からTeenage Engineering のヘッドフォンを使用していました。オシャレな感じと携帯に便利なので使っていました。ハイがカットされて中低位域がモッコリするのですが、聞き疲れしないので気に入っていました。しかし、カバンに入れて持ち歩いていると可動部分が折れてしまいました。
気に入っていたので(デザインが〜笑)再注文して、ついでにいろいろ検索していると「アシダボックス」なるものを見つけました。ものすごく評判が良くて一時期は入手困難な状態が続いていました。日本のメーカーでデザインがなんともレトロ。
Teenage Engineeringのヘッドフォンよりも安かったのでポチってみました。
♡調声に最適
結論からいいますと、めっちゃイイです。特にSynthesizerVの調声作業にバッチリです!
丁度、人の声の部分が聞きやすくて微細な変化もこのヘッドフォンだと聞き逃すことがないです。SynthesizerVで調声をされている方には、是非是非お薦めのヘッドフォンです。コスパも良いです。
同じデザインで、ST-90-05とST-90-07というのがあります。僕が購入したのはST-90-07のほうです。評判になっていたのはST-90-05のほうなのですが、さらにパーツのグレードを上げて音をよくしたのががST-90-07です。
低域はあんまり出ませんので、そういった需要の音楽には不向きです。声が聴き取りやすいので、調声とは抜群に相性がイイです。先にもいったようにヘッドフォンは、その目的に応じて使うのが理想的で万能性を求めるものではありません。
最初にいったようにヘッドフォンを使うのはあまり好きではないのですが、これはかなりお薦めです。これを使い出してから、SynthesizerVの調声で細部の音の動きに迷うことが減って作業効率が上がりました。
とにかく声の微細な変化がとてもわかりやすいので、是非使ってみてください!
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